11月14日、狛江市中央公民館において、パーク・ハイム狛江管理組合法人は狛江消防署長より救急業務協力者等感謝状を授与されました。
これは過去に狛江消防署に依頼してパーク・ハイム狛江で救命講習会を開催したり、毎年防災訓練でAED講習を行っている実績によるものと思われます。定期的に救命講習会を実施しているという狛江ハイタウン管理組合も同時に授与されました。
感謝状は図書コーナーに掲出します。
11月14日、狛江市中央公民館において、パーク・ハイム狛江管理組合法人は狛江消防署長より救急業務協力者等感謝状を授与されました。
これは過去に狛江消防署に依頼してパーク・ハイム狛江で救命講習会を開催したり、毎年防災訓練でAED講習を行っている実績によるものと思われます。定期的に救命講習会を実施しているという狛江ハイタウン管理組合も同時に授与されました。
感謝状は図書コーナーに掲出します。
以前の記事「2019年台風19号の影響のまとめ(2)」では、狛江市内の根川さくら通りと猪駒通り付近の被害を取り上げましたが、この2か所の浸水について、2019年10月25日付の東京新聞では「多摩川に雨水などを流す二カ所の排水路の水門を開けたままにしたため、増水して水位の上がった多摩川から水が逆流し、被害が広がった可能性がある」と報道しました。
台風19号の降雨により、狛江市内では多摩川住宅周辺、駒井町・猪方周辺で床上浸水92棟、床下浸水152棟(市発表・10月18日8時30分現在)の被害が確認されました。
多摩川住宅を取り囲むように流れる根川は、多摩川の五本松のすぐ上流で多摩川に流れ込んでいます。そこには「六郷排水樋管」という水門があり、通常時は水門が開いていて、根川の水を多摩川に流しています。
上記東京新聞の記事によると、台風19号による大雨となった10月12日は「16時から市職員と消防団員らがポンプを使い、根川から多摩川への排水作業を開始。18時には水門を一度閉め、排水作業を続けた。しかし、道路への冠水が広がったため、約20分後に水門を開けた。19時半、多摩川の基準水位が6メートルを超えたため、職員らは水門は開けたまま避難のため退去した。」とあります。
退去後も多摩川の水位は上昇し、水門が開いていた根川に逆流したものと思われます。被害は狛江市部分だけではなく、「調布市染地地区を中心に床上、床下合わせて約180軒が浸水」したとのこと。想像以上に大きな被害が出ていました。
記事では猪方排水樋門についても「水門は開けたまま、市職員らが監視。午後七時半に退去した。」とあり、排水を優先していたが水門を開けたまま退去してしまったため、多摩川の水位上昇で逆流が起こり周辺が冠水してしまったようです。
まとめ(3)の最後に挙げたように、大田区の田園調布でも多摩川の支流があふれ、広範囲な浸水がありました。こちらは水門を閉めて支流の水をポンプで多摩川に排水していましたが、避難勧告が出たのでポンプを止めて水門を閉めたまま作業員が退去、その後あふれてしまったとのことです。ポンプを動かしたまま退去してしまうと本流の多摩川にさらに水が流れ込むことになり危険なので、これは正しい判断のようです。ポンプを止めずに避難してしまったために問題となった埼玉県の越辺(おっぺ)川の例もあります。
多摩川は大河川で、全体的には国土交通省が管理していますが、そこに流れ込む支流の水門やポンプの操作は地元自治体に任されているとのことです。今回狛江市が行った水門の操作が正しかったかどうかはわかりませんが、国交省が流域全体を見て判断したり、流域自治体で連携をとったり、また水門やポンプの遠隔操作ができたりすれば、被害はもっと抑えられるのではないかと考えたりしますが、どうでしょうか。
まとめ(2)では猪方排水樋門について「下水道雨水幹線を多摩川に排出」と書きましたが、その補足です。
狛江市は比較的早い時期に下水道網を整備しましたが、地域により「合流式」と「分流式」の2種類があります。
「合流式」というのは家庭や事業所などから出る汚水と、道路の側溝などから流れる雨水を一つの管に集めて流す方式です。この方式は下水道幹線が1本ですむ一方、豪雨などで大量の雨水が流入すると末端の下水処理場の処理能力が足りなくなってしまうため、その手前で超過分を未処理のまま川や海に放流します。最近は東京オリンピックトライアスロン会場の水質問題でも話題になりました。
狛江市の合流式下水道は、雨量が増えて規定量を超えた場合は野川と入間川に排出されます。
一方、「分流式」では汚水用と雨水用に分けた2本の下水管を整備し、汚水は下水処理場へ、雨水は河川へと、別々に排出するので、上記のような問題が起きません。狛江市内では大雑把に言うと世田谷通りの北側が合流式、世田谷通り南側と多摩川住宅付近が分流式となっています。猪方排水樋門につながるのは分流式下水道の雨水管ということになります。大雨が降っても多摩川に汚水が流れ出すことがないわけです。
パーク・ハイム狛江前の市道にあるマンホールのふたを見てみると、「汚水」と表示があるふたと「雨水」の表示があるふたがあります。つまり、この地域は分流式下水道が整備されていることになります。雨水マンホールのふたに穴が開いているのは、集中豪雨などで大量の雨水が一気に流れ込んだときに空気を逃がし、流れをよくするためだそうです。汚水マンホールのふたに穴が開いていないのはその必要がなく、穴があると臭気が漏れてしまうからでしょう。市内でも合流式下水道のマンホールふたには「合流」の表示があるので、その地域がどちらの方式で整備されているかわかります。
さらにまとめ記事の訂正があります。まとめ(4)に記載した川崎市の武蔵小杉駅周辺の冠水についても10月24日の東京新聞の記事に原因の記載がありました。こちらは多摩川には関係なく合流式の下水道があふれたと当初言われていましたが、記事によるとやはり排水樋門がからんでいて、水門を閉めようとしたが閉まらず、長時間開いたままになってしまい、多摩川の水が逆流して入ってしまったことが原因としています。
そしてもうひとつ。まとめ(1)では周辺の多摩川の最高水位について触れました。パーク・ハイム狛江より下流側にある一段高い高水敷(乗馬会などが行われる自由ひろばの部分)は浸水しなかったと書きましたが、決壊の碑がある場所の先は少し低くなっており、その部分には上の写真のように流れてきた草木が溜まった跡がありました。
新聞記事へのリンクは10月27日現在のものであり、今後記事が削除されるなどして表示できないこともあります。
下水道については狛江市の下水道総合計画書を参考にしました。
川崎市の多摩川沿いの被害
川崎市高津区の多摩川沿いとして報道された映像では、道路沿いのコンクリート壁から水がザブンザブンと押し寄せ、冠水した道路はみるみる水没していきました。
これは多摩川に流れ込む、支流の平瀬川があふれたもので、上の写真の水色に着色した範囲(おおよそ)で冠水被害があり、不幸なことに1階が水没したマンションでは男性1名が亡くなってしまいました。
水量が非常に大きくなっている多摩川に小さな平瀬川が流れ込むと、勢いがある多摩川の流れに反発され、平瀬川から多摩川に出ようとする水は逆流のようになって行き場を失い、あふれ出てしまったものと思われます。テレビ朝日では「バックウォーター現象」と説明していました。
冠水した地区は平瀬川と久地霞堤(くじかすみてい)というものに囲まれています。そのためあふれた水が低い土地の方へ流れることもできず、大きな被害が出てしまったのでしょう。
霞堤というのは武田信玄が考えたとも伝えられている、古くからある治水法で、連続している堤防の一部を切って、下流側の堤防だけ川幅よりも広く斜めに延ばしておき、水量が増えすぎた場合にその水の一部を堤外に逃がし、堤防の決壊を防ぐものです。霞堤がある場所は農地など人が住まないところでしたから、人的被害は出さずに、逃した水は本流の水量が少なくなったら自然に戻るという合理的な構造になっていました。
霞堤は現在も全国各地で見られますが、多摩川ではここのほかに昭島に残り、宿河原付近でも川から離れたところにそれらしき痕跡が残っています。しかし人家ばかりになってしまった現在は、逆に今回のように冠水被害の原因の一つとなってしまったようです。
川崎市では中原区でも武蔵小杉駅周辺が冠水しました。被害は道路だけでなく、駅の構内や周辺の店舗や住宅にも及びました。すでに報道でご存知のことと思いますが、地下の電気室が水没し、エレベーターが動かず、下水処理ができずトイレも使えなくなったというタワーマンションもあるようです。復旧には1週間程度かかるとのことで、居住者はたいへんな思いをされていることでしょう。
この武蔵小杉駅周辺の冠水は多摩川が直接の原因ではなく、暗渠や下水道から吹き出した水だったということです。(→10月27日訂正記事:多摩川の水の逆流が原因か)
4つに分けて台風19号のまとめをしました。多摩川のような大河川が近くにあると、洪水といっても色々なパターンがあることがわかりました。
多摩川の真横で暮らす私たちはこれを一つの経験として記憶に刻んでおくべきです。防災対策チームでも水害対策にいっそう力を入れてまいりますので、今後も皆さまのご理解、ご協力をお願いいたします。
※本文中、冠水の原因に関する記述は推測であり、事実と異なる場合もありえます。
世田谷区の多摩川氾濫
すぐ下流の世田谷区玉川で多摩川が氾濫というニュースは衝撃的でした。クルマのボンネットが隠れるまで冠水し、身動きが取れなくなっている映像も流れました。
しかしよく調べてみると、このクルマが立ち往生している映像の場所と、多摩川で氾濫があった場所はぜんぜん別の場所でした。つまり世田谷区では複数の場所で冠水があったということです。
これは二子玉川付近より1kmほど下流の、第三京浜の橋があるあたりです。住所は世田谷区野毛や玉堤になります。クルマが立ち往生していたのは東京都市大学のあるあたり(世田谷区玉堤)です。水色の範囲はこの航空写真から冠水跡が見られる場所です。また、第三京浜のすぐ東側にある世田谷記念病院(世田谷区野毛)は浸水して入院患者の移送をしていると報道していたので、この付近も冠水したものと思われます。
この地域の直接の冠水原因は、大量の雨水が下水道に一気に流れ込んで起きた『内水氾濫』だといいます(テレビ朝日「報道ステーション」)。青い線はこの地域を流れる小さな川です。写真の上部中央の等々力渓谷は国分寺崖線の始まりの場所で、崖地から湧水が出ていることで有名です。その等々力渓谷から多摩川に注ぐ川には、さらに左右から崖下の水を集めた小川が合流しています。つまり、この付近は相当な低地であることがわかります。雨水が一気に集中して冠水してしまったのでしょう。また、病院の近くにも排水門(第三京浜の「第」の字の右側)がありますが、これも閉じられて行き場を失った雨水があふれ出たと思われます。
それでは「多摩川が氾濫」と発表されたのはどの場所だったのでしょうか。
二子玉川駅付近で多摩川は野川と合流します。その合流点の中州に兵庫島公園があります。ここも流されてしまい、公園の面影がすっかり消えてしまいました。○で囲んだ部分にはこの兵庫島公園に渡るための通路があり、少し低くなっています。増水した多摩川で 『越水』が起きたのはこの場所(世田谷区玉川)です。 付近の道路や家屋が冠水したようです。
実はこのオレンジ色のエリア、最近まで堤防が整備されていない区間となっていました。いまではすっかり住宅地となっていますが、大正時代、玉川電気鉄道(玉電、いまの田園都市線)の終点で風光明媚なこのエリアには多摩川の鮎を食べさせる料亭がいくつもありました(狛江にも同じように玉翠園などの料亭がありました)。その頃、国で多摩川の堤防を下流から二子玉川まで整備しようということになりましたが、この料亭の経営者たちは景観を損なうということで堤防建設を認めませんでした。
そこで国はしかたなくこのエリアの内側に堤防を築きました。このときの堤防はいまも当時のまま残っていて、都道11号線(多摩堤通り)沿いに見ることができます。しかしここに堤防を築いたことで、それを越えて料亭があるエリアに行くのは不便だということから、「陸閘(りっこう)」を設けて整備されました。
上の写真の中央、道路(多摩堤通り)に沿って緑色に見えているのが大正から昭和初期にかけて整備された旧堤防ですが、一部途切れている場所が見えます。これが陸閘です。
多摩堤通りから見てみると陸閘のところで堤防が切れ、堤外地と行き来するための道路があります。断面はレンガ造りで、増水時のために堰き止め用の板を入れる溝が切られています。今回の氾濫でこの陸閘を閉じたとは聞いていませんが、同じような陸閘は野川合流点手前にもあり、そこは今回の台風で実際に陸閘を閉じたそうです。
ここは久地陸閘(くじりっこう)といい、狛江から土手をずっと下っていくと最後野川合流点手前で行き止まりになりますが、その手前にあります。なぜ世田谷なのに久地(南武線の駅にありますね)なのかというと、おそらく多摩川が氾濫を繰り返していた江戸時代、最初は久地の土地だったところが流路が変わり、世田谷側になってしまったことの名残ではないかと思います。
二子玉川に残る堤外地や陸閘のことは、京浜河川事務所の資料に詳しく説明されています。
二子玉川の堤防未整備地区では、下流から二子玉川駅付近まではつい最近になって旧堤防の外側に暫定堤防(本来の設計より少し低い)を作る整備が進み、2014年に完成しましたが、二子玉川駅から上流の自動車学校がある付近までの約500mについては現在も未整備です。国交省がこれまで何度も住民と話し合いを重ねてきたそうですが、料亭のなき後も景観が損なわれるという理由で反対運動が起き、合意が得られていないそうです。越水したのはまさしくこの区間なので、話の流れも変わるかもしれません。
その他、多摩川の東京都側では、大田区田園調布でも住宅街が腰の高さくらいまで冠水し、住民がボートで救助される様子も報道されました。多摩川の支流の丸子川があふれたということで、600件近い被害があったとのことです。