台風19号の影響その後(まとめ記事の訂正と追加)

以前の記事「2019年台風19号の影響のまとめ(2)」では、狛江市内の根川さくら通りと猪駒通り付近の被害を取り上げましたが、この2か所の浸水について、2019年10月25日付の東京新聞では「多摩川に雨水などを流す二カ所の排水路の水門を開けたままにしたため、増水して水位の上がった多摩川から水が逆流し、被害が広がった可能性がある」と報道しました。

狛江市が管理する六郷排水樋管の水門の写真と、猪方排水樋門も含めた地図
2019年10月25日 東京新聞より

台風19号の降雨により、狛江市内では多摩川住宅周辺、駒井町・猪方周辺で床上浸水92棟、床下浸水152棟(市発表・10月18日8時30分現在)の被害が確認されました。

多摩川住宅を取り囲むように流れる根川は、多摩川の五本松のすぐ上流で多摩川に流れ込んでいます。そこには「六郷排水樋管」という水門があり、通常時は水門が開いていて、根川の水を多摩川に流しています。

上記東京新聞の記事によると、台風19号による大雨となった10月12日は「16時から市職員と消防団員らがポンプを使い、根川から多摩川への排水作業を開始。18時には水門を一度閉め、排水作業を続けた。しかし、道路への冠水が広がったため、約20分後に水門を開けた。19時半、多摩川の基準水位が6メートルを超えたため、職員らは水門は開けたまま避難のため退去した。」とあります。

退去後も多摩川の水位は上昇し、水門が開いていた根川に逆流したものと思われます。被害は狛江市部分だけではなく、「調布市染地地区を中心に床上、床下合わせて約180軒が浸水」したとのこと。想像以上に大きな被害が出ていました。

猪方排水樋門を下流側の土手から見る
猪方排水樋門(土手下を水路が貫通している)
水門左の橋は災害時の緊急輸送用道路

記事では猪方排水樋門についても「水門は開けたまま、市職員らが監視。午後七時半に退去した。」とあり、排水を優先していたが水門を開けたまま退去してしまったため、多摩川の水位上昇で逆流が起こり周辺が冠水してしまったようです。

まとめ(3)の最後に挙げたように、大田区の田園調布でも多摩川の支流があふれ、広範囲な浸水がありました。こちらは水門を閉めて支流の水をポンプで多摩川に排水していましたが、避難勧告が出たのでポンプを止めて水門を閉めたまま作業員が退去、その後あふれてしまったとのことです。ポンプを動かしたまま退去してしまうと本流の多摩川にさらに水が流れ込むことになり危険なので、これは正しい判断のようです。ポンプを止めずに避難してしまったために問題となった埼玉県の越辺(おっぺ)川の例もあります。

多摩川は大河川で、全体的には国土交通省が管理していますが、そこに流れ込む支流の水門やポンプの操作は地元自治体に任されているとのことです。今回狛江市が行った水門の操作が正しかったかどうかはわかりませんが、国交省が流域全体を見て判断したり、流域自治体で連携をとったり、また水門やポンプの遠隔操作ができたりすれば、被害はもっと抑えられるのではないかと考えたりしますが、どうでしょうか。

汚水用と雨水用のマンホールふた
パーク・ハイム狛江店舗棟前道路のマンホール

まとめ(2)では猪方排水樋門について「下水道雨水幹線を多摩川に排出」と書きましたが、その補足です。

狛江市は比較的早い時期に下水道網を整備しましたが、地域により「合流式」と「分流式」の2種類があります。

「合流式」というのは家庭や事業所などから出る汚水と、道路の側溝などから流れる雨水を一つの管に集めて流す方式です。この方式は下水道幹線が1本ですむ一方、豪雨などで大量の雨水が流入すると末端の下水処理場の処理能力が足りなくなってしまうため、その手前で超過分を未処理のまま川や海に放流します。最近は東京オリンピックトライアスロン会場の水質問題でも話題になりました。

狛江市の合流式下水道は、雨量が増えて規定量を超えた場合は野川と入間川に排出されます。

一方、「分流式」では汚水用と雨水用に分けた2本の下水管を整備し、汚水は下水処理場へ、雨水は河川へと、別々に排出するので、上記のような問題が起きません。狛江市内では大雑把に言うと世田谷通りの北側が合流式、世田谷通り南側と多摩川住宅付近が分流式となっています。猪方排水樋門につながるのは分流式下水道の雨水管ということになります。大雨が降っても多摩川に汚水が流れ出すことがないわけです。

汚水マンホールのふた
汚水マンホールのふた
雨水マンホールのふた
雨水マンホールのふた

パーク・ハイム狛江前の市道にあるマンホールのふたを見てみると、「汚水」と表示があるふたと「雨水」の表示があるふたがあります。つまり、この地域は分流式下水道が整備されていることになります。雨水マンホールのふたに穴が開いているのは、集中豪雨などで大量の雨水が一気に流れ込んだときに空気を逃がし、流れをよくするためだそうです。汚水マンホールのふたに穴が開いていないのはその必要がなく、穴があると臭気が漏れてしまうからでしょう。市内でも合流式下水道のマンホールふたには「合流」の表示があるので、その地域がどちらの方式で整備されているかわかります。

さらにまとめ記事の訂正があります。まとめ(4)に記載した川崎市の武蔵小杉駅周辺の冠水についても10月24日の東京新聞の記事に原因の記載がありました。こちらは多摩川には関係なく合流式の下水道があふれたと当初言われていましたが、記事によるとやはり排水樋門がからんでいて、水門を閉めようとしたが閉まらず、長時間開いたままになってしまい、多摩川の水が逆流して入ってしまったことが原因としています。

浸水跡が残る自由ひろば下流側端
自由ひろば下流側端(10月27日撮影)

そしてもうひとつ。まとめ(1)では周辺の多摩川の最高水位について触れました。パーク・ハイム狛江より下流側にある一段高い高水敷(乗馬会などが行われる自由ひろばの部分)は浸水しなかったと書きましたが、決壊の碑がある場所の先は少し低くなっており、その部分には上の写真のように流れてきた草木が溜まった跡がありました。

新聞記事へのリンクは10月27日現在のものであり、今後記事が削除されるなどして表示できないこともあります。
下水道については狛江市の下水道総合計画書を参考にしました。

2019年台風19号の影響のまとめ(4)

川崎市の多摩川沿いの被害

NHKニュースより
テレビ朝日「報道ステーション」より
(右上サブタイトルは(3)で書いた世田谷区玉川のこと)

川崎市高津区の多摩川沿いとして報道された映像では、道路沿いのコンクリート壁から水がザブンザブンと押し寄せ、冠水した道路はみるみる水没していきました。

川崎市高津区久地・溝口周辺 (国土地理院10月13日撮影)

これは多摩川に流れ込む、支流の平瀬川があふれたもので、上の写真の水色に着色した範囲(おおよそ)で冠水被害があり、不幸なことに1階が水没したマンションでは男性1名が亡くなってしまいました。

川崎市高津区久地・溝口周辺 (国土地理院10月13日撮影)

水量が非常に大きくなっている多摩川に小さな平瀬川が流れ込むと、勢いがある多摩川の流れに反発され、平瀬川から多摩川に出ようとする水は逆流のようになって行き場を失い、あふれ出てしまったものと思われます。テレビ朝日では「バックウォーター現象」と説明していました。

冠水した地区は平瀬川と久地霞堤(くじかすみてい)というものに囲まれています。そのためあふれた水が低い土地の方へ流れることもできず、大きな被害が出てしまったのでしょう。

Googleマップより

霞堤というのは武田信玄が考えたとも伝えられている、古くからある治水法で、連続している堤防の一部を切って、下流側の堤防だけ川幅よりも広く斜めに延ばしておき、水量が増えすぎた場合にその水の一部を堤外に逃がし、堤防の決壊を防ぐものです。霞堤がある場所は農地など人が住まないところでしたから、人的被害は出さずに、逃した水は本流の水量が少なくなったら自然に戻るという合理的な構造になっていました。

わざと堤外に水を逃がし、本堤の決壊を防ぐ霞堤

霞堤は現在も全国各地で見られますが、多摩川ではここのほかに昭島に残り、宿河原付近でも川から離れたところにそれらしき痕跡が残っています。しかし人家ばかりになってしまった現在は、逆に今回のように冠水被害の原因の一つとなってしまったようです。

NHKニュースより

川崎市では中原区でも武蔵小杉駅周辺が冠水しました。被害は道路だけでなく、駅の構内や周辺の店舗や住宅にも及びました。すでに報道でご存知のことと思いますが、地下の電気室が水没し、エレベーターが動かず、下水処理ができずトイレも使えなくなったというタワーマンションもあるようです。復旧には1週間程度かかるとのことで、居住者はたいへんな思いをされていることでしょう。

この武蔵小杉駅周辺の冠水は多摩川が直接の原因ではなく、暗渠や下水道から吹き出した水だったということです。(→10月27日訂正記事:多摩川の水の逆流が原因か)

4つに分けて台風19号のまとめをしました。多摩川のような大河川が近くにあると、洪水といっても色々なパターンがあることがわかりました。

多摩川の真横で暮らす私たちはこれを一つの経験として記憶に刻んでおくべきです。防災対策チームでも水害対策にいっそう力を入れてまいりますので、今後も皆さまのご理解、ご協力をお願いいたします。

※本文中、冠水の原因に関する記述は推測であり、事実と異なる場合もありえます。

その後の訂正と追加記事に続く

2019年台風19号の影響のまとめ(3)

世田谷区の多摩川氾濫

NHKニュースより
NHKニュースより

すぐ下流の世田谷区玉川で多摩川が氾濫というニュースは衝撃的でした。クルマのボンネットが隠れるまで冠水し、身動きが取れなくなっている映像も流れました。

しかしよく調べてみると、このクルマが立ち往生している映像の場所と、多摩川で氾濫があった場所はぜんぜん別の場所でした。つまり世田谷区では複数の場所で冠水があったということです。

世田谷区野毛・玉堤周辺 (国土地理院10月13日撮影)

これは二子玉川付近より1kmほど下流の、第三京浜の橋があるあたりです。住所は世田谷区野毛や玉堤になります。クルマが立ち往生していたのは東京都市大学のあるあたり(世田谷区玉堤)です。水色の範囲はこの航空写真から冠水跡が見られる場所です。また、第三京浜のすぐ東側にある世田谷記念病院(世田谷区野毛)は浸水して入院患者の移送をしていると報道していたので、この付近も冠水したものと思われます。

世田谷区野毛・玉堤周辺 (国土地理院10月13日撮影)

この地域の直接の冠水原因は、大量の雨水が下水道に一気に流れ込んで起きた『内水氾濫』だといいます(テレビ朝日「報道ステーション」)。青い線はこの地域を流れる小さな川です。写真の上部中央の等々力渓谷は国分寺崖線の始まりの場所で、崖地から湧水が出ていることで有名です。その等々力渓谷から多摩川に注ぐ川には、さらに左右から崖下の水を集めた小川が合流しています。つまり、この付近は相当な低地であることがわかります。雨水が一気に集中して冠水してしまったのでしょう。また、病院の近くにも排水門(第三京浜の「第」の字の右側)がありますが、これも閉じられて行き場を失った雨水があふれ出たと思われます。

それでは「多摩川が氾濫」と発表されたのはどの場所だったのでしょうか。

二子玉川駅周辺 (国土地理院10月13日撮影)

二子玉川駅付近で多摩川は野川と合流します。その合流点の中州に兵庫島公園があります。ここも流されてしまい、公園の面影がすっかり消えてしまいました。○で囲んだ部分にはこの兵庫島公園に渡るための通路があり、少し低くなっています。増水した多摩川で 『越水』が起きたのはこの場所(世田谷区玉川)です。 付近の道路や家屋が冠水したようです。

二子玉川駅周辺 (国土地理院10月13日撮影)

実はこのオレンジ色のエリア、最近まで堤防が整備されていない区間となっていました。いまではすっかり住宅地となっていますが、大正時代、玉川電気鉄道(玉電、いまの田園都市線)の終点で風光明媚なこのエリアには多摩川の鮎を食べさせる料亭がいくつもありました(狛江にも同じように玉翠園などの料亭がありました)。その頃、国で多摩川の堤防を下流から二子玉川まで整備しようということになりましたが、この料亭の経営者たちは景観を損なうということで堤防建設を認めませんでした。

二子玉川駅周辺 (国土地理院10月13日撮影)

そこで国はしかたなくこのエリアの内側に堤防を築きました。このときの堤防はいまも当時のまま残っていて、都道11号線(多摩堤通り)沿いに見ることができます。しかしここに堤防を築いたことで、それを越えて料亭があるエリアに行くのは不便だということから、「陸閘(りっこう)」を設けて整備されました。

二子玉川駅南側 (国土地理院10月13日撮影)

上の写真の中央、道路(多摩堤通り)に沿って緑色に見えているのが大正から昭和初期にかけて整備された旧堤防ですが、一部途切れている場所が見えます。これが陸閘です。

玉川西陸閘(Googleマップより)

多摩堤通りから見てみると陸閘のところで堤防が切れ、堤外地と行き来するための道路があります。断面はレンガ造りで、増水時のために堰き止め用の板を入れる溝が切られています。今回の氾濫でこの陸閘を閉じたとは聞いていませんが、同じような陸閘は野川合流点手前にもあり、そこは今回の台風で実際に陸閘を閉じたそうです。

外部の参考写真→(写真1)(写真2

久地陸閘(Googleマップより)

ここは久地陸閘(くじりっこう)といい、狛江から土手をずっと下っていくと最後野川合流点手前で行き止まりになりますが、その手前にあります。なぜ世田谷なのに久地(南武線の駅にありますね)なのかというと、おそらく多摩川が氾濫を繰り返していた江戸時代、最初は久地の土地だったところが流路が変わり、世田谷側になってしまったことの名残ではないかと思います。

二子玉川に残る堤外地や陸閘のことは、京浜河川事務所の資料に詳しく説明されています。

二子玉川の堤防未整備地区では、下流から二子玉川駅付近まではつい最近になって旧堤防の外側に暫定堤防(本来の設計より少し低い)を作る整備が進み、2014年に完成しましたが、二子玉川駅から上流の自動車学校がある付近までの約500mについては現在も未整備です。国交省がこれまで何度も住民と話し合いを重ねてきたそうですが、料亭のなき後も景観が損なわれるという理由で反対運動が起き、合意が得られていないそうです。越水したのはまさしくこの区間なので、話の流れも変わるかもしれません。

その他、多摩川の東京都側では、大田区田園調布でも住宅街が腰の高さくらいまで冠水し、住民がボートで救助される様子も報道されました。多摩川の支流の丸子川があふれたということで、600件近い被害があったとのことです。

(4)へ続く

2019年台風19号の影響のまとめ(2)

狛江市内の被害状況

狛江市内では多摩川や野川の決壊や越水はありませんでしたが、一部地域で冠水の被害がありました。

多摩川住宅 根川さくら通り(1)

多摩川住宅の東側の根川さくら通りの10月15日の写真です。歩道は泥で覆われ、街路樹にはガードレールより高い位置に冠水跡が残っています。この付近は12日18時30分頃から通行止めとなりました。場所によっては1m以上冠水し、住宅に浸水の被害はなかったようですが、少し低い位置にある集会所が浸水したり、駐車場の車両に被害が出たそうです。(→10月27日訂正記事:住宅も床上・床下浸水の被害あり)

陸上自衛隊第1師団 @1D_nerima Twitterより引用

13日には自衛隊が派遣され、上の写真のようなひどい状態から泥を除去したとのことです。

多摩川住宅 根川さくら通り(2)

反対側の歩道です。この写真の道路の右側が多摩川住宅です。左側には根川という川が流れています。多摩川住宅北西端あたりの湧水から流れ出し、多摩川に注ぐ小さな川です。多摩川住宅は隣接する狛江市の住宅地よりも一段低い位置にあり、そのあたりの雨水が大量に根川に流れ込み、多摩川に排水しきれずに氾濫したものと思われます。多摩川に注ぐところの水門が閉じられてあふれたのかもしれません。(→10月27日訂正記事:多摩川の逆流が原因か)

多摩川住宅周辺 (国土地理院10月13日撮影)

国土地理院が台風一過の10月13日午前に撮影した航空写真です。青い線が根川、(1)・(2)は上の写真の撮影位置です。

多摩川住宅周辺 (国土地理院10月13日撮影)

水色に着色した部分がおおよそ冠水した範囲と思われます。

浸水したのは多摩川住宅付近だけではありませんでした。

10月14日 NHKニュースより

これはNHK総合で放送された一場面です。上部のスクロールする情報画面から、狛江市で床上浸水があったことがわかります。駒井町1-32~36は、第六小学校と猪駒通りの間のあたりです。

狛江市ハザードマップ 多摩川氾濫版

ハザードマップに赤で囲った水色の範囲で示してみました。周辺に比べ特にこのあたりだけ危険度が高くなっているわけではありません。集中豪雨版のハザードマップでも危険度ゼロの地域です。

猪駒通り・駒井大通りの駒井西交差点付近

猪方交番・供養塚公園あたりから、猪駒通りが多摩川土手にぶつかるあたりにかけて、道路冠水の跡があります。泥水ではなかったのか、多摩川住宅周辺のような浸水高さがわかる跡はありませんでした。写真の駒井西交差点付近では18時30分頃から通行止めとなりました。

10月12日 猪駒通りの冠水状況(近隣にお住まいの方提供)

グランノア和泉多摩川前では歩道が見えなくなるくらいまで冠水しています。下の写真と比べると30cmくらいの水深でしょうか。

同じ場所の平常時(Googleマップより)
駒井町の住宅

こちらのお宅は車庫と思われる部分のシャッターが、冠水による影響か、ひしゃげています。

猪駒通り (国土地理院10月13日撮影)

多摩川住宅の航空写真と同じく、10月13日午前中に国土地理院が撮影した航空写真です。中央付近をカーブしながら通り、右下で土手道に合流するのが猪駒通りです。

猪駒通り (国土地理院10月13日撮影)

住宅街は道路が狭く、床上浸水があった範囲は判読つきませんが、猪駒通りは水色の部分に冠水跡が見られます。

このあたりも多摩川が氾濫したわけではありません。原因として考えられるのは上の写真のピンクの○に示した猪方樋門(ひもん)です。

猪駒通り南端の猪方樋門

猪方樋門は周辺で集められた下水道の雨水幹線が多摩川に排出される場所です。ここも多摩川の増水に伴いゲートが閉じられ、集まった雨水の逃げ場がなくなり周辺が冠水したのではないでしょうか。 (→10月27日訂正記事:多摩川の逆流が原因か)

狛江市の対応

避難した住民でいっぱいの狛江第二中学校
(近隣にお住まいの方提供の写真を加工)

狛江市では台風が近づく前日の11日から、中央公民館に自主避難所を開設すると発表していました。避難勧告などが発令される前でも、早めに避難をしてもらうためです。12日の朝に自主避難所が開くと、訪れる住民は予想以上に多く、市役所のロビーや議場を開放したほか、多摩川に比較的近いため本来水害時の避難所には指定されていない二中も自主避難所として開設しました。おそらく猪方・駒井町方面の住民の避難が多かったからでしょう。

市ではその後13時に災害対策本部を設置、開局に向け試験電波発信中のコミュニティFM放送局コマラジを臨時災害放送局として開設しました。

16時30分に多摩川に近い地域に避難勧告が発令され、先に開設されていた二中のほか、一中、三中などでも避難所を開設しました。避難する住民が増え、二中は約1000人が避難したとのことです。入りきれなくなる人も出てきたので三小、六小も避難所開設、最終的には11か所の避難所に約4000人が避難したそうです。

三中、三小、六小も水害時の避難所として指定されていませんが、これほどの人数を収容できる施設がなく、やむを得なかったのでしょう。19時頃には大人数が収容できそうなエコルマホールも避難所となりました。避難勧告を受けて最初二中に行ったが入れず、六小に移動したという住民も多かったそうです。市でも今後の課題として認識しているとのことでした。

市内では床上浸水の被害もあったので、16日に住民からの手伝い要請や災害ボランティアを受け入れるボランティアセンターを開設、災害ごみの処理や罹災証明書の発行も対応している模様です。

※市の対応状況は狛江市のTwitterに残されている記録に基づいています。避難者数や、市の認識についてはNHKニュースの情報によるものです。

(3)へ続く